今思うこと

皆様、カオスです。はぁ……………いやぁ、ね、どうしようかなと思ったんですよ。ご存知の通りアメリカ全土、そしてNY、今、カオス状態じゃないですか?この話題、語ろうか語るまいか結構迷ったんですけど、本日夜間外出禁止令も発令されましたし、今ココで起こっている大きなムーブメントについてスルーするにはあまりにもエゲツない状況な上に、ココを避けてフザけた話題を語っても、どうも誤魔化しているような気がしてならないので、ここは一発、コトが起こって以来、様々な角度からの情報に目を通し、自身が肌で感じたことを、素直に、率直に語ってみようと思います。

最初にお断りしておきますが、考え方には個人差があります。世間一般で言うところの常識や、正義に反している発言があるかもしれません。さらに、ココで語られたことに対して同調や同意を求めたり、押しつけたり、正当化したり、他者を攻撃したりするつもりは一切ございません。ココで挙げられた情報がすべてではありません。ただの一個人の、一つの解釈、意見として、こういう考え方もあるのね〜と軽く受け流していただけると幸いです。

さて、さっそく始めたいと思うのですが、もうすでにたくさんの報道でもご存知の通り、今アメリカ全土で起こっているコトの発端は、数日前、ミネアポリスで無抵抗の黒人Geroge Floydさんが白人警官により殺害されたことによるものです。アメリカの黒人に対する理不尽な人種差別は、有史以来今回と同様の事件が、幾度となく繰り返され、根深い社会問題として影を落としております。

今回の背景には、例のウィルス感染の問題も関係しておりました。5月30日現在でNY州だけでも感染者数が36万人を超えておりまして、その中でもとくに、マイノリティーと呼ばれる黒人、ヒスパニック系の方々が多く占めています。低所得がゆえに医療保険に入ることができない、治療が受けられないので基礎疾患が多い、テレワークできる職についている割合が少ない、家賃が高すぎるので狭い敷地に多くの人数で住んでいる、などの要因があり、すでに感染率でも富裕層との格差があからさまとなり、人々の不満や怒りは募るばかり。さらに経済活動がストップし、NYだけでも失業者が四人に一人というとんでもない状況になっておりまして、この影響をモロに受けたのがマイノリティーの人々です。発散しようにも、Stay Homeでお篭り推奨のご時世。その中で、起こったのがミネアポリスの悲惨な事件です。

そりゃ、キレるわな〜〜〜〜〜。ワカル!こんなに不公平な世の状況の中でも、なんとかやりすごそうと頑張っていたところへ、あんな理不尽なことが起こったら、そりゃマイノリティーの人権を求めてデモしたくなりますよ。

この一連のムーブメントはBlack Lives Matterという抗議活動として、瞬く間に、全米に広がりました。多くの有名人や企業もそれぞれのステートメントを表明し、正義の行動として、さらに世界中に広がりを見せております。先週末、人種を問わず何千人もの人々が「人権の平等」「差別反対」を訴えるためにManhattan BridgeやBrookly Bridgeに集結し、正義の行動として称賛されました。

さて、ここで私の登場でございます。…皆様、私、本当に人間ができていないのでしょうね。サイアク、人でなし認定決定覚悟で白状いたしましょう。この一連の動きを見た瞬間……うすら寒くなっちゃいました。だってね、つい、ほんとについ昨日まであんたら、こぞってアジア人をひとまとめにして「ウィルス扱い」してたやん。これ、何やったん???誰かわかりやすく説明してくれや、です。

実は今年3月以降、NYにウィルスが上陸して以来、街の雰囲気が一瞬にして変わりました。私、アメリカに20年以上住んでおりますが、今まで一度たりとも、今回ほど身の危険を感じたことはございません。当時、中国から得体の知れないウィルスが上陸したというニュースに、白人、黒人、南米人、アラブ人と、アジア人以外のすべての人々のアジア人を見る目がガラっと変わりました。まだマスクがウィルス防御に有効だということがまったく定着していなかったNY、マスクをしたら襲われる危険性があるため、着用を義務付けられるまで、堂々とつけることができませんでした。

欧米人にアジア人の国の違いを見分けるのはほぼ不可能なため、全アジア人が差別のターゲットとなりました。心ない言葉をかけられたり、嫌がらせをされたり、襲われたりというニュースを3月下旬ぐらいまでほぼ毎日目に耳にし、一人暮らしの私、1ヶ月ほどは買い物に行くのもめちゃくちゃ警戒が必要でした。私もふくめ、約9割の知り合いや友人が、何らかの嫌がらせを受けました。ほぼ全員ですよ???おかしくないですか???今回、人種差別の恐ろしさを身をもって体験しましたが、やり場のない怒りと理不尽さと恐怖が込み上げてきます。これを生まれた時から肌の色だけで体験するマイノリティーの方々の苦しみは計り知れないものがあります。

で、こんな状況下でも好奇心旺盛な私、実はここでマイノリティーの皆様に注目しておりました。残念なことに欧米では、無意識に白人至上主義がはびこっているため、白人によるアジア人に対する差別は容易に想定できたのですが…蓋を開けてびっくり、今回アジア人を標的に差別行動や嫌がらせを行なっていたのは、圧倒的にマイノリティーの皆様だったのです。

ズコーーーーでしょ。ここでね、ちょっと期待してたんです。人種や肌の色による理不尽な差別を誰よりも知っている方々が、「それはおかしい」「悪いのはウィルスであって、人種は全く関係ない」という声があがるのを。いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜微塵にも上がりませんでした。びっくりするぐらいスルー。なんならアジア人を嘲る動画なら何個も見つけちゃいましたよ、というトホホタハハな結果。

さらにご存知だと思いますが、このデモは暴動にまで発展してしまいました。店は壊され、パトカーは燃やさられ、ひっちゃかめっちゃか。実はここにも複雑な力学が働いておりまして、昨日テロ認定された極左集団(白人で構成されていると言われています)がこの正義のデモに参加したマイノリティーの人々を煽動し、結果略奪強奪がおこなわれていると言われております。昨日NYのオシャレ街SOHOがズタボロに襲撃されたのですが、映像を見る限り、おそらくこの集団が関与したと思われます。

しかし、ここでまたしても疑問なのですが、煽動されてる?え?誰かのせい?煽動されようがされまいが、略奪してることに変わりません。略奪したシャネルのバッグ自慢げに動画であげてた方、何人もいましたよ〜、です。しかも今現在も、34丁目のMacy’sが略奪強奪被害真っ最中とのこと。さらにはいつも平和で静かな私のご近所でも、黒人の若者集団が、大音量のバイクで道を逆走したり、線路に入り込んで爆竹を鳴らし続け大騒ぎ…。

これを踏まえての前述したムーブメントを見て、すみません、私、インスタにBLMの言葉を上げることはできないし、寄り添いたいとも思いません。Manhattan Bridgeの正義の行進を見て、このコロナ渦で、いまだにNYでは毎日千人以上も新規感染者が出てるのに、しかも2ヶ月半もお篭りして、なんとか感染者数が順調に減少し、やっと来週からいよいよ経済活動再開かってところなのに、大声あげて大集結して…クラスタ引き起こす可能性を想像できないの?さらにたくさんの雇用機会の場である商店を襲って、略奪暴動まで起こして主張する正義ってなんぞ???と思ってしまうのです。

今まで医療崩壊を起こさないよう、最前線で頑張ってくれている医療関係者の方々や、毎日危険にさらされながらも公共施設を運営してくださっている皆様への侮辱だとは思わないのでしょうか…。さらに、平和的に真摯にBLMを訴える大多数のマイノリティーの皆様の大迷惑になると思わないのでしょうか…。

BLMのスローガンは素晴らしいし、人種差別は絶対の絶対にダメ。平等な人権はもちろん、誰でも当たり前に保証されているもののはずです。先述しましたが、大半のマイノリティーの皆様が、こんな状態を望んでいるはずがないし、これを繰り返してはいけないと思っているはずです。このムーブメントは、ウィルス禍とはいえ、おそらくこのタイミングだからこそ起こるべくして起こったものでしょう。人種差別の辛さをほ〜〜〜んのちょっぴりでも体験したのなら、このムーブメントに賛同………できればいいんですけどね。でも、すみません、私はムリです。周りが声高々にBLMを掲げるほど、なんだかすーっと冷めてしまうのです。ほんと、未熟ですね、私…。

できれば、平穏に収まって、何かしら平和的な解決策が見出せればいいのですが…どこまで行くのでしょうか。寄り添わないし賛同もしない、私はこの件に関して「無視」ではなく、「無」を持って見守る、というのがステートメントでございます。

皆がひとつの正義を掲げて集結している中、私のような気持ちで過ごしている方も、もしかしたら少なからずいらっしゃるかもしれません。そんな方々に、何かしらメッセージはないかしら、と思っていたところ、ちょうどピッタリのモノを見つけたので、ご紹介して、今回の記事を締めたいと思います。「慣れ親しんだ『解釈の現実』」の構造に気づき、「あるがままの世界」=「道(TAO/タオ)」を生きることとはどういうことかを説いた、東洋哲学の原点である「老士道徳経」(紀元前250年著)を超約した「マスターからの手紙」(著:雲黒斎さん)より、第10章です。

どうぞ皆様、安全に健やかに過ごされてくださいね〜。次回からまたアホな記事に戻りますので、どうぞご安心を〜。

 


 

第10章 「聖なる知らんぷり」

たとえ「あるがままの世界」に気づいたとしても、この社会の中で作為なく「あるがまま」を生きるというのは、なかなかに難しい。

というのも、「社会」のほとんどは、さまざまな『取引』によって成り立っているからね。

無知無欲にして純真無垢な赤ん坊のように、心身のしなやかさを保ち、過去や未来に縛られることなく、いきいきと「いま」にあることができるだろうか。

「〜すべき」「〜ねばならない」などといった心の鏡についた汚れを拭い、固定観念に縛られずにいられるだろうか。

皆を愛し、国を納めてもなお誰に知られることなく、母が子を産み育てるように、利害打算を持たずにいられるだろうか。

物事が明らかにわかりながらも、余計な手出しをせずにいられるだろうか。

タオを生きる人は、誰かを救おうだとか、改心させようだとか、成長させようなどといった、何かをコントロールしようとする作為がない。

「世の中はこうあるべき」というイデオロギーを押し付けることもなければ、「自分はこうでなくてはならない」というセルフイメージに縛られることもない。

世の「うつろい」そのものを受け入れ見守る、愛の中に生きる。

タオは、万物を産み出し繁殖させるが、それらが成長しても、決して我がものとはしない。万物の創造主でありながら、支配者を気取らない。

「(意図をもって)働く」のではなく、「(摂理の)働き」とともにある。

これこそが、タオを生きる人の奥深き「徳」なんだ。

–雲黒斎

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